タイムカプセル
書き出し
診察室のドアが閉まる音が聞こえた。廊下に立ち尽くした僕は、前からカートを押してくる看護師さんの視線を感じ、道を開けた。ベンチに腰掛け、何をどう考えたらいいかもわからずに、ただクリーム色に壁を見つめた。壁の染みが何かの形に見える気がする。
明日から30歳になる。いつかなると思っていて、その頃にはきっと結婚して家もあると思っていた年齢に、僕はなる。「いつかそうなる」と思った根拠も、それがビジョンだと思った背景も、今となっては思い出せない。それぐらい何も考えずにいて、しかし見たものにいろいろな影響を受けていたのだろうと実感するばかりだ。
誕生日を前に、いったい誰にこの事実を伝えればいいのだろうと思うよりも、なぜ誰かに伝えなければならないのだろうという問いが、頭の中で先行し始めていた。ヤケになっていると思われるだろう。思ってくれるだけマシなのだろう。
3ヶ月もすればこの世からいなくなるのだから。
会社に行くことも面倒だ。誰かに伝え回る時間すらもったいない。事後報告で、そっと、少しだけあとは濁してしまう鳥になってしまうが、どうか許してほしい。旅に出て、もう無理だと思ったそこで、穏やかに果ててしまおう。……穏やかさがあるといいのだが。
病院を出て通りを歩いていると、公園が見えた。土遊びをしているだけの様子が、その時ふと子供たちが何かを必死で掘り出しているように見えた。
思い立って、僕は鞄からノートを取り出し、今日から3ヶ月後、その時にどうなっているかを予想し、それを書き記し始めた。あと少ししかこの世にいないのだから、最後に何かチャレンジしたいと思っていた。それが旅だと思っていたのだが、あてもない。どうせならふざけて、どうでもよくて、でも意味深い何かをしてやりたかった。
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僕はきっと、3ヶ月前にそう思ってこれを書き残したのだろう。 とっさに書き殴った、しかし量だけはノート1冊にもおよぶこのタイムカプセルを、僕はゆっくりと開いた。