遠浅の静けさ、入り瀬の騒めき
川の水が流れる音が顔に当たって、透き通った空気と私との境界を曖昧にした。 ごうごうと流れる音は私がどちらを向くかによって、その音色を変えた。 その度に、新緑が、橋を渡る車が、古びた家の外に無造作に置かれたおもちゃが、私を見た。 彼らが私を、見ていたような。そんな気がした。
周囲の音に耳を澄ましているうちに、だんだんと誰も見ていないような気がしてきたのだった。 そうして初めて、私は私のことを、私の目で見つけた。
そこにいる私は、電車の中にいて、その手の中にある画面に目を落としては、困ったような顔で時々顔を上げ、窓の外を見ていた。雰囲気だけは知っていても、その1つ1つの家や、建物のことは何も知らない、そんな窓の向こうの世界をぼんやりと眺めていた。近くの景色しか見えず、それがどろりと溶けたように走り去っていくように見え始めると、言いようのない焦燥感が襲ってきた。やがて窓の外の見通しが良くなると、ゆっくりと角度を変えていくだけの風景が、私を落ち着かせてくれた。
ようようとホームに侵入する電車。止まったその瞬間に、人の波が押し寄せてくる。
満員電車の隅で、窓の外に流れる景色の川に、私はおもむろに願っていた。 そのうちに、目を閉じていた。不意に週末の記憶が蘇ってくる。ステージの向こうからベースの音が押し寄せる。 観客とそこで押し合う私と、私以外の熱気が揺らいでいる。 彼のことが好きなのか、彼を好きな私が好きなのか、ただ音楽が好きなのか、私にはわからなかった。 雑音めいたものが私を満たしている。そう気がついた時、私は、私は、私は。私は。
私は。
何が静けさなのか、私は知りたい。私はそう思っていた。 一人になりたいのか、静かなところに行きたいのかわからない。 教えて欲しいわけじゃなかった。 ただ。私が知っているのは、そんな夜があることだけだった。
ふと後ろから人の声がして、川辺にいる私に、私は還ってきた。 電車の中で目をさました時には感じられない穏やかさが、私の中にあった。
一歩一歩歩く度に、川の音が遠ざかっていくと思っていた。川辺の階段を登り切ったその時、ふっと川辺の音は止んだ。
かすで夫丈大
大丈夫ですと答え続けた。そう言うことができない、それが道を踏み外すということだと思っていた。
ふふ、あんた本当に大丈夫なの?
大丈夫じゃないと打ち明けた。そう言う機会は限られていると思っていた。
お手洗い以外では用を足してはいけない。漏らすなんて、人として間違っている。
大丈夫、誰もきっと見ていやしないよ。
その場をやり過ごしていくことも、得意なところを見出しては活かしているうちに、次第に快感に変わっていった。
きっと全てが正しい。私は間違ってなどいない。大丈夫。
もう大丈夫、ここまで来たのだから。この先も信号を守って、安全運転を心がけよう。
「大丈夫ですか!」薄れゆく意識の中で、灰色の霞が目を覆う。大丈夫ですと言おうとしても、口からそれは出てこない。
もう、頑張らなくても大丈夫なんだ。
あの時はもうダメだと思ったんだから。今は大丈夫なんですか?あったりまえじゃない!もうこの通り、大丈夫よ。
手を合わせ、心の中であの人に告げる。夕飯の買い出しに出た。ポイントカードはお持ちでしょうか。
いえ、大丈夫です。
割にあわない
見ているものに意味があると考えたくなる。
陽が降り注ぐ、枝を見上げる水の中に降り注ぐ雨。 その奥に潜む草、通りかかる私。
そしてその下にある石。
いつかここにきたあなた。 あなたはここをよく通っているの?
見ていることに意味があると考えたくなる。
どこかに積み重なるもの、積み重なっていくもの。 どんどんわからなくなっていく。
また何かを見ている。 その歩みは止まることを知らない。
たくさんのものが私の中を通り過ぎていく。