なおぼうけん

日々を探検したり、掘り下げていきます。

どこから来たものを、指で受け流す

心と秋の空

友達からニュースサイトの記事のリンクが送られてくる、ということが、最近では珍しくない。むしろ挨拶の代わりになってすらいる。今日は僕の好きな野球関連のゴシップが飛び出してきたんだな、とか。オフィスに着くや否や同僚が話しかけてくるような、まるでドラマのワンシーンでよく見る光景を置き換えたようにも思える。

SNSを見て、そこに記事のリンクが投稿されていることもよくある。何ら不思議ではない。そういうものが目先にあって、然るべきという態度がすでにある。然るべきなのだが、一つ疑問がある。

なぜそのニュースを目にしたのかだ。

投稿した人はどうやってそのニュースを見つけたのだろう。トレンドだったのだろうか。それともその分野に長けていて、兆候が見えていたのだろうか。あるいはその人もニュースサイトなどでたまたま見かけたものをピックアップしたのだろうか。それすらも、トレンドを色濃く反映しているものではないのだろうか。

確かな目を持つ人によってまとめられたものを見ることよりも、トレンドという価値のものさしでダイナミックに変化する情報を僕はきっと、見ている。

もとより確かな目を持つ人の中身こそ見えないのだから、何か見えざるものによって並べられた情報を見ているという行為自体が変わったわけではない。たまたま僕がよく見ている情報を多く目にするようになったところで、つまり理由はそういうことだとわかっている。

見えないところで信用の置けない何かをしていないだろうな、という点において不安があるだけだ。ほとんどモラルの話だと僕は捉えているのかもしれない。

ところで、そのニュースの中に、誰かが見ているところでは日本人のマナーは良い、見ていないところではそうでもないという内容のものがあった。

一見ネガティブな内容だが、誰を主語にしても当てはまる内容ではないか。 むしろ見えるところで良い分だけましだとも思える。もしかしたら、そのほうがたちが悪いということを伝えたかったのかもしれない。

僕はそっとチャットから離れる。そのニュースを指で受け流すかのように流通させる、ルーターのような存在に、その時はならなかった。