なおぼうけん

日々を探検したり、掘り下げていきます。

冷房の風に吹かれて

残暑はもう終わりました

木目の床に、黒い液体が静かに滴っていた。その上の方で、完全に熟したバナナが萎れている。
ああやってしまった、と思い項垂れるのも面倒で、手から動かすようにティッシュを探し始めた。
黄色かった頃の面影をその形にしか留めていないものは、静かにごみ箱の中に入れた。

お手洗いの扉にかけていた風鈴がちりんと音を響かせると、夏の終わりが来たかのように、その時に至るまでに季節を感じさせた様々な情景が頭の中に浮かんだ。
その中の1つが、僕の心の目を惹きつけた。門前仲町の裏通りを歩いていた時のことだ。

夜だというのじっとりと汗をかくほど暑かった。
吹きつける夜風が通りの様々な音を連れてきた。
居酒屋の戸が開く音、椅子が床と擦れる音、漏れる笑い声。
遠くからじっと泣く蝉の声、通り過ぎる人が持っていた、扇子の開封音。
風で舞い上がったすだれが、ガラス窓に落ち着いた。何かの水が、ぽたぽたと落ちていた。

ただのなんてことのない、職場から家に帰る途中の記憶だった。
特別な記憶ではない。

もし遠くで花火の音がしたなら、いつかの記憶も呼び覚まされていただろう。
雑踏の中で、鉄板の上で何かが焼ける音や、氷が削られてゆく音が聞こえたり。

次第に笑い声が遠くに消えていって、おもちゃのピアノの音が聞こえたらなら。
あたりが暗くなって、何かの人形が置いてある。
もしかして僕はここから出られないのではないか。
そんな恐怖を、面白半分に予期したのかもしれない。

冗談の1つも思えるほどには、引越しのどたばたから少し落ち着いて、心に余裕が出てきたのかもしれない。 そんな僕の顔を、冷房の風が撫でた。

窓から熱気が伝わってくる様子もなく、空間に静穏さが満ち始めている。
もうすぐ秋が来る。いや、来ているのだ。どこで秋が満ちたと思うかを、僕は計ろうとしてるのだろう。