なおぼうけん

日々を探検したり、掘り下げていきます。

2020/06/19 じゃこ天・洗濯・器

今日何があった?

じゃこ天:食器を洗いながら、じゃこ天美味しくなかったなと考えていた。サラダだけじゃ物足りないから、何か付け合わせにちくわとかをトッピングするのだけど、練り物なら良いかとじゃこ天を買ってみたのだ。じゃこという何か小魚なのだろうと思って、勝手にシラスのような魚をイメージしていた。洗い物が終わってじゃこ天を検索してみると、まず「雑魚天」と変換されるじゃないか。どうしたことかとIMEを疑いながら「じゃこ天」と入れ直し、エンター。雑魚天であっているじゃないか。そうだったのか。小魚を雑多にまとめたものだったのか。通りで居酒屋で平仮名表記しか見たことがないんだ。これから強くたくましく大海原を駆け巡るはずだった小魚たち。雑魚の使い方から知ったが故に、その練り物は弱い食べ物なんじゃないか、と変なイメージを持ってしまった。雑草魂みたいなイメージにすれば強いはずだと無茶苦茶な思いとともに胸にしまった。そして、大学の勉強を始めるはずだった。気がつくと僕はコントローラーを握り、発売したばかりのゲームに身を興じていた。

洗濯:蓋を閉じたあと、じゃーっと勢いよく水が流れ出てくる。まだ冠水していないけど、洗剤を攪拌するためか少し槽が揺らぐ。また水が出てきて、ひたひたになったところで思いきり回転し始める。そんな洗濯機の「洗い」の一部始終をぼんやり見ていることがある。家事をやるのが好きというより、ぼんやりする時間が生まれるのが好きだと気付き始めたのは最近のことだ。仕事や趣味のことをやっている時は絶えず試行錯誤で、マラソンのようでもあり短距離走でもあり、とにかく疲れる。だから膝に手をやって休む時間が必要だけど、理由もなく、それが下手だ。自室のデスクに戻り、仕事を再開する。金曜日。仕事はオフの雰囲気が醸される。大学に行けそうになったとチャットに書き込むと、近くに住む後輩が「ふれあい下水道館」が面白いですよと教えてくれた。何気ないおすすめは嬉しい。そういうドメインのサービスを開発しているのだから、こういう話は積極的にしたい。ただなんとなくわかる。何気ないものは言ってやりだそうとすると上手くいかないことを。行為をアレンジするのが仕事の一部になっている人なのだから、言ってどうこうする方式をとるのではなく、そうするのが楽しいとか、促すようなやり方、直接は表現しない言葉や会話の選び方を心がけたい。ふれあい下水道館を調べると、異臭がするエリアがある施設とのこと。確かにそういう雰囲気が字面から感じられる。軽快な音楽が脱衣所から響いてきた。僕は席を立った。

器:温かい紅茶に砂糖を入れて、しっかり飲む。朝の習慣であり、これをやることで食べ過ぎも防止できる。自ずとお昼に食べすぎないようになり、体の調子も上向いてきた。お昼過ぎに職場の打ち合わせがあったので、僕はビデオ会議の準備をした。機密も多いのでそれ以上のことは言えないが、僕は器の小ささを感じた。人によって態度を急変させる人をみると、そう思わざるを得ない。しかしこれが自分にはまるで当てはまらないと本当に言えるだろうか。ダメだ、これは考えすぎて金曜の午後にもなったばかりなのに気が重くなる。そう思い、それ以上考えるのはやめた。来週に向けて、粛々と資料の準備をし始めた。

今日の書き物

勘違いしていた。100日書いたらこの形式で書くのを止めるのではなく、1年やると自分で書いていた。