なおぼうけん

日々を探検したり、掘り下げていきます。

2020/04/19 隠す・メメント・陳列

今日何があった?

隠す:晴れた日曜の昼間ぐらいは外を散歩したい。近くに公園があるので、ランニングしつつ植物を観察しにいった。さつきの花がきれいに咲いているのが印象的だった。普段はバイオレットの花をよく見るが、白やピンクの花もあって興味深く観察した。タイミングの違いなのかもしれないが、ピンクの花はフローラル、まさにその香りがした。逆輸入みたいな表現だ。いくつかスケッチし、葉のつき方はかぶらない様に広がる感じだと思って。たまたま目をやった木が円状に広がる形ではなく、線対象に葉がついていたので他もないだろうかと少し立ち入った。ふと上を見上げると、とても緑がきれいで空の青に映えていた。面色の中に様々な色彩が広がった様はまるで絵画の様だった。そこを出てから居た場所を見返してみると、そんな風景がある様には思えない木や草の密集がそこにはあった。木を隠すなら森。森ほどでなくてもわからない。木は見つかったとしても、そこからの景色は見つけたぐらいではわからないものだと思った。

メメント伊坂幸太郎ラッシュライフを読んだ。群像劇で、後半繋がりを見せるそれまでの断片的なストーリーが印象的。読み終わり、ふとメメントという映画を思い出した。あれは群像劇ではないし、繋がりを見出すのも一度見たぐらいでは無理だろう。でもあの映画が好きだ。

陳列:机の上の本の並びを見て、これが積んであったら下の本はいつ読むのだろうと思った。では横並びにしたらいつ手に取るのだろうか。取りやすさは目的を持った場合に機能する。陳列とは、人に見せるために物を並べておくこと、と定義されている。陳列。見せるためであればその本のアイデンティティがわかればなんでも陳列といえそうだ。猥褻物にも陳列という言葉を取り付けることがある。これは罪の名前だ。見せる意図がない場合もその状況を鑑みて見せたと判断されるのだろう。その意味においては、机上に並べた本はすぐに手にできるようにしたいからおいたのであり、それができなければ意味がないのだ。手が伸びる位置にあるという点では陳列だが、すぐ手にできるという点では陳列ではない。台と化している。本の台化。キャビネッティドブックと勝手に呼ぶ。