なおぼうけん

日々を探検したり、掘り下げていきます。

2020/06/30 三元豚・ロボット・普通

今日何があった?

三元豚(pork name watched a lot)

肉に名前がついていると、あれ、と思う。特別なお弁当なのかなと思う。10年前ぐらいから、見かけてはなんのことかは分からずとも、大三元四暗刻のような印象があり、特別な印象を感じていたカツ丼がある。

調べてもよく知るには少しかかりそうだと思う意味だったけれど、3つの交配種を指す意味での三元だったようだ。ということは各地にユニークな三元豚がいるのかもしれない。また、四元豚もいるそうだ。みたことはあっても、「ああ〜四か!」と思ったことはない。

地元には白金豚というブランドポークがある。プラチナの名を冠した、貴重な豚だ。高級な部類だから、地元だからと言ってよく食べない。良いものは大抵東京の人が食べているとしみじみ思う。

まいばすけっとで買ったカツ丼を食べながらそんなことを考える。カツ丼のパッケージはどこもあまり変わらない。卵で綴じてあると、不思議と揚げ物を食べている感覚がしない。

ロボット(robot)

先生がライブでドラムを叩く姿が印象に残らない。音だけが残る。体の動きがまるで想像つかないため、リズムを奏でていながら、そこに規則性を見いだせないためだ。要するにヘタッピだからわからないのだ。ところが今日ある動作が印象に残った。

時折叩きそうで叩かないことがある。どうしてかなんてさっぱり分からない。 そういうグルーブだったのかもしれないし、というより、理由を考えるのが野暮だ。

その動きがどこかロボットのように見えた。人にそういう形容をするのは相応しくないが、雰囲気の例えにあまり良いものが思いつかなかった。僕なら叩いてしまう、というところの相違を不自然と捉え、不自然な動作をロボットと結びつけたのだと思う。

実際のロボットは計画された動きをする。人はそういうことはしない。と思うのだが実際にはどうなのだろう。計画すると安心させられる。演奏をみていて、僕は興奮した。計画されているようには思わなかった。

普通(yesterday)

ジャズライブの最後、残響が部屋に残る中で締めの挨拶が終わり、そこにいた皆が余韻を楽しもうとした時だった。1人の年配者が「俺にもやらせろ」と、バンドに嗾けた。

クラシックを50年やってきて、ジャズをやろうと一念発起した。そこで最後にジャムセッションをやらせろ、というのが彼の要求だった。 手にはクラリネットを持っている。とにかくアメリカなら当たり前のことなのだから、俺の意見を尊重しろ。彼はその場にいた人に制止され、面白くねえ、と吐いて店を後にした。

おかしな人がラストを台無しにしたと全員が分かち合い、最悪の空気は免れた。いつもはこんなことはない、と口々に語る人もいて、たまにはいるのかと思う。 ただ少し経って、彼に何があったのだろうと想った。音楽は好きなのだろう。長くクラシックを続け、楽器は大切に手に持っていた。50年は並の歳月ではない。 主張こそ荒々しいが、所作が人でなしであるとまでは言えなかった。彼の音楽家としての矜恃が彼を宥めたのだと思う。

帰り道、自分を貫き通すことの厳しさを考えさせられていた。彼が本当に目覚めたジャズを貫き通そうとしたのなら、リスペクトを欠く行為などしなかっただろう。 クラシックのコンサートが終わった後、それでもなお演奏させろと、彼はしないだろう。 長い間歩んできた中でいつしか自分がどこにいるのかを見失った。自らの音楽性を肯定しようと、ジャズはできるからやってみせろという気持ちがどこかあったのではないだろうか。

少し考えすぎだとは思った。道なき道を進んでいたら孤独になって、耐えきれなくなったのだろうか、とか。 継続すること自体は非凡な才能だと思うが、力なり、とは簡単には言えない気がしたのだった。

久しぶりに外に出て、こんな生々しいものを見るとは。 「昨日まではそうなるとは思わなかった。」