なおぼうけん

日々を探検したり、掘り下げていきます。

2020/05/15 中傷・恐怖・見方

今日何があった?

中傷:今思うと、20代にもなっていないときは知らないことすら知らなすぎたかなと思う。その時に何かを表立って批判することなどできなかったはずなのに、やっていたと思う。それは良心がそこにあればまだよかった。知らないからこそ、すごいと思う。自らの足かせになることなど到底考えもできない。これまでやってきたことはこれからも無駄にならないし、必ず独走を続ける「はずだ」という見え隠れする不安。突き動かす何か。そういうものがあったと思う。そういうものがあったのだと、若い人を見て今日思った。

恐怖:正直大学で勉強して、今の仕事もやって、毎日不安である。いくらロードマップに起こしても、イメージしても不安である。恐怖すらある。それでいいのだろうかと思う日々だ。今日本を読んでいて、そういう一節があった。せいぜい今のうちに怖がっていろ、と勉強中の若手を皮肉るシーンだ。僕は若手でもないが、ベテランでもない。完全に同じ状況としてその言葉を受け止めることはできないが、いい言葉だったかもな、と思った。今日飲んだビールはそんなに苦くなかった。

見方:朝起きて目を開けた時に、どこを見ていたかを思い出すと、斜め上の方を見ていた気がする。ベッドから斜め上、天井の角あたりだ。そこが薄明るくなっている姿を一瞬見て、すぐに横にあるスマートフォンに目をやる。見ないようにしているつもりがSNSを見て、朝からいやな気持ちになることもある。最近はいやに官能的な夢を見ている気がして、何となく2度寝をしてしまう。起きてからカーテンを開けると明るく照らされた街を歩く人の姿が見える。会社に行くのだろう、シャキッとした格好に憂鬱な背中だ。そう見てしまっている。いろんな視点から捉え直すと、きっとそうではない。あの人は今まさに子供が生まれたと連絡が入って、急いでタクシーを捕まえようとしていたのかもしれない。なかなかそうは考えつかないけれど。様々な視点で様々な人が物事を見ている。僕の視点に立って物事を考えてくれる人もいる。僕の見方だけでなく、自分の見方で捉え直してフィードバックもしてくれる。その違いを味わいつつ、どうしたらいいかを考える。多様な物を受け入れ、それを素直に受け止める。誠実に。味方であるという言葉を見方という言葉で言い換えようと頑張ったが限界がきた。