ダカラ・虫取り網・大企業
2020/08/05
ダカラ(Sports drink)
グリーンダカラが売っているから、すでに昔天使のキャラクタに赤いハートが宿った飲み物があったことなど忘れている。なぜか、鉄棒を手だけで登っていくCMが頭に思い浮かぶのだが、それはアミノ式だ。
だから何なのだという話だ。この台詞は日常よく聞くし、目にする。まだ新しいものを知る場所がテレビだけだった時代の飲み物。
そう考えてみると、ショックを受ける場として、本屋さんやコンビニがあった。 不意に手にした本や雑誌には、全く知らないことがたくさん書いてあって、誤って手に取った本にかなり際どい水着のお姉さんがいたら、これが買えるのかと驚きを隠せずにいた。
もうセピア色になりつつある中学生の頃の話、その時は宝物を探すような気持ちで本屋さんに入っていた気がすると、今になってみれば思う。
淡い青い時代。
僕はグリーンダカラを飲み干し、ジャージに着替えて公園へ走り出した。
虫取り網(Insect net)
夏になれば虫取りをしたい気持ちが都会にも溢れる。今年だって例外なく、子供は公園で網を振るっている。漁の良否は量ではなく質で決まる。いかに珍しい虫か、だ。
もう大人になった僕は、改めてその発想にゾッとした。今となっては珍しい虫ほど怖いものもあまりない。
一目散に走り出しては力強く網をスイングし、確かめる。入っていればカゴに移し、辺りを見渡す。さながら研究者のような眼差しを草原に向ける様子を見ていると、他人の子供だと言うのに感心すらする。
ふと視野が広がって辺りを見ると、虫を追いかける子供を、大人が必死で追いかけていた。 必死さの質が違っていて、もはや己との戦いに発展している。額を伝ったのであろう汗を、袖で拭っている。
虫取りは1人ではできない。捕まえた虫が珍しいかを確かめうこと、認める人が必要だからだ。
こんな状況では友達と虫取りにもあまり行けないから、大人がついてくるしかないのだろう。
追いかける我が子の背中に、彼自身の少年時代を見ていたりするのだろうか。
その顔からしわが取れ、急に若々しく見えた気がした。
大企業(Major firm)
公園を走り、家に戻ろうとすると外は帰宅途中の会社員で賑わっていた。水曜日の夜は少しリフレッシュも兼ねてお酒を、という人も多いのだろう。
色めきだった集団が現れると、そうでない個人が対照的に見える。どちらも色相は異なるけれど、きれいな色をしている。
家に戻ってシャワーを浴びると、体を覚ましながらSNSをみた。スポーツ、感染症、お酒。いろんな情報が目から入っては、出ていった。
どこへ行ったかは分からないのに、ふと脳裏をよぎることがあって、たまに澱のような物が残る。
フリーランスの良さを語る呟きが目に留まった。アカウントを見ると、大企業を出て、何度も転職を繰り返し自由な働き方を手にした、という経歴を誇りにしているようだった。
情報は真実であるかどうかより、需要に刺さる。そんな誰かに、その経験が生かされれば、と言うことかもしれない。
孤独を埋めることは簡単ではないと読めなくもない。でも、だからどうと言う話ではない。