なおぼうけん

日々を探検したり、掘り下げていきます。

2020/07/12 多数派・形見・梅の木

今日何があった?

多数派(Majority)

父や母が「うん」と言ってさえくれれば安心した時が昔はあったと思う。何かにつけて母に相談していた頃が僕にはあった。 父に相談すると、聞いてはいるが母が答える、そんな流れがあった。たまに答えてもとても怒っているように僕には見えた。

今思うと、父は何か嬉しかったのかなと思う。

一人暮らしをするようになって、それからしばらく経って、家を離れてからというもの、多数に合わせるという姿をよくみるようになった。 それほど間違ったことをしているとも思えない。ただ、合っているかどうかも分からないだけで。

高校生の頃、広い道場で1人残って弓の練習をしていると、先生が声をかけてくれた。弓に関係はなくても、最近は元気か、のようなことを。 少しだけ弓のことを見てくれて、あとは違う話をしていたと思う。その時はその真意を解することなく、がむしゃらに不器用に、尖っていた。 見てくれている人は見てくれているのだと後からになって思った。

60を過ぎた父が、僕がよく被っている帽子、あれいいよなと何度か言ってくる。あれいいでしょ、と僕も答える。

僕の帽子を被った時、ちょうどよかった?と僕は聞いた。

形見(Keepsake)

おじいちゃんの形見の時計を大事に使っている。毎日ちょっとずつ時間がずれたり、身に付けていないと止まってしまうけれど、数分の違いは大したことではない。 その差がすごく重要だったのは大学受験の時だけだ。

よくもまああれだけ対策を考えたり、制限時間の配分をコントロールしていたなと思う。 自分の部屋に篭って、くる日も来る日も勉強しては、その時間に上手く力を発揮できるような対策を練っていた。 筆記試験では、1、2分ずれたところで大きく何かが変わる訳でもないのに。 そうやって夜遅くまで何かをしているのを、机のライトの光が外に漏れているのを、父はたまに見ていたそうだ。

この時計をいつか渡そうと思っていた、と父は言っていたけれど、それはどういう時を待っていたのだろう。

僕にもいつかその時が来るのだろうか。

梅の木(Memento)

実家の敷地に入るところには、梅の木が生えていた。僕が生まれた時に苗をもらったとそうで、したがって同い年の木だ。 年を追うごとに大きくなっていって、僕が身長で追いつくことはなかった。

春になると梅が生って、僕が小さい時はよくそれで梅酒を作っていた。僕は梅が苦手だったし、お酒だったのでその味を知らない。 夏になると大きくなっては私有地を超えて枝を伸ばすので、その管理に大変手を焼いていたらしい。 家に帰ってくる時に必ず目につく位置に生えているから、帰って来たことを実感させる存在だった。

僕はその木が好きだった。というより、自分のことのように思ってその木を見ていた。

実家の建て替えの時、その木はなくなった。今はアスファルトに覆われていてそこには何もない。 春にその花を咲かせたときも、夏に大きくなって、秋に散っては冬の雪に覆われていた時も、実家を見ていた木はもういない。

いつか家を持つことができたなら、梅を植えようと僕は思った。