なおぼうけん

日々を探検したり、掘り下げていきます。

2020/06/28 乱雑さ・大きな机・やよい軒

今日何があった?

乱雑さ(promiscuous)

部屋で違うことをやりだすようになった時、大抵部屋が乱れている。心の乱れと揶揄されることもしばしばある。

心の乱れを指摘する人はむしろどれぐらい乱れていないのだろうか。置くものも無かったら豊かさがないとも言えそうだ。

だから部屋がある程度汚れてきたと感じたら片付けをする。その時に意外と機能的にものが配置されていて、改めて部屋の機能を確認することになり意外と時間がかかる。

そうしているうちに新しい家具が欲しくなるのだ。破壊は創造の始まりと仰々しくいうよりも、ただの整理整頓の1部だと思っていて、片付けの一部にDIYの欲求だったりものを買いたくなる衝動の発生がある、と捉えている。

大きな机(big table)

片付けをすると毎回大きな机が欲しくなる。テーブルでものを作る時、ものを広げたくなる。

ところで何かを作る時やご飯を食べる時の机をテーブルと呼んで、仕事をするときの机をデスクと呼び分けている。前者はものを広げるところ、後者はまとめるところというイメージの違いを持っている。テーブルはものが主役で、デスクは人が主役というニュアンスを勝手に感じている。

美術館やカフェに行くと大きな机があって、いいなあと思う。将来大きなリビングのある家を建てて、大きな机を置きたいと、その度に思う。ああいった机はただ大きいだけでなく、風合いやずっしりとした安定感も魅力的だ。一般宅が買うには相当高い方だろう。良い椅子が当てはまらないとうまく機能しないところが難しいところだ。

過ごす時間が長いところにお金を使いたい思いがここ数年特に強まっている。

やよい軒(unlimited rice)

おかわり処がある。それがやよい軒に行く理由なぐらい、白米をたくさん食べたい時がある。白米が進むメニューが多くて、店頭で悩むことがしばしばある。

やよい軒にコンスタントに行くこともないため、余計に考える。いろんなものが食べられるが故に、決めるのは少し難しい。 そういうお店が券売機を導入していると少し困ってしまう。その時のおすすめメニューを選んでしまいがちだ。

席に着くとボックス席のテーブルの真ん中にはアクリルの透明な衝立が置いてある。そこにメニューが貼ってあり、これは次回に向けての紹介なのかなと思うけれどそれで頼んだ記憶はまずない。どちらかというとこんなのもあったのかと後悔することの方がある。

おかわり処は閉鎖されていて、おかわりはお願いする形式だ。反抗期の時、極端に口数を減らした僕が唯一母親に話す言葉が「おかわり」だったことがある。どんな時もご飯をたくさん食べることは唯一誇れる才能だと思っている。